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東京高等裁判所 昭和48年(う)2960号 判決

本籍

浜松市入野町九二六八番地

住居

沼津市吉田町三七の八

遊技場経営

小田木定雄

大正七年四月八日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四八年一一月五日静岡地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し、被告人および弁護人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官設楽英夫出席のうえ審理をし、つぎのとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人坂本雄三、同柴田政雄、同筒井健共同作成名義の控訴趣意書(ただし、三五頁裏六行目から三六頁表二行目まで、四〇頁表九行目から四〇頁裏二行目まで、四一頁裏二行目から同六行目までを削除)記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官設楽英夫作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これを引用し、つぎのとおり判断する。

一、控訴趣意(以下趣意という)第一の一((一)被告人が虚偽分散申告をしたと認定し、(二)被告人に逋脱のため不正の工作をしようとする意思があり、逋脱の犯意があると認定したのは事実の誤認であるとの主張)について。

(一)  関係証拠、ことに原審における証人柴田守雄(以下柴田という)および被告人の各供述(供述記載も供述という。以下同じ)、被告人の昭和四五年二月一五日付検察官に対する供述調書(以下検面調書という)、昭和四三年六月二五日付大蔵事務官に対する質問てん末書(以下てん末書という)(謄本)を綜合すると、被告人は柴田に対し原判示各年度の確定申告書の作成、提出を依頼したこと、被告人は柴田が右依頼にもとづいて作成した原判示各確定申告書を所轄税務署へ提出したがその前同人から見せられ、それに記載された所得金額、所持税額および申告納税額を確認するとともにそれが虚偽分散申告であることを知つたが、同人の進言もあつてこれを了承したことが認められる。したがつて、本件虚偽分散確定申告書は被告人が柴田を介してしたということができる。

(二)  関係証拠を検討しても、被告人に逋脱のため不正の工作をしようとする意思があり、逋脱の犯意があるとした原判決の判断に誤りはない。

(三)  したがつて原判決には所論の事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

二、趣意第一の二(売上帳を柴田に提出しなかつたのは柴田が提出を求めなかつたからである、同事実からして被告人が所得の一部を秘匿したと認めたのは事実の誤認であるとの主張)について。

原判決は被告人が売上帳を柴田に提出しなかつたことから被告人が所得の一部を秘匿したと認定しているのではない。被告人が経費のみの資料しか提出しなかつたこと(四二年六月ことからの売上メモを除いて)や原判示の他の事実を総合して被告人に分散申告の認識があつたことと虚偽過少申告の意思があつたことを認めているのである。そればかりか関係証拠、ことに原審における証人石原国俊および前記柴田証人の供述、被告人の昭和四五年二月二四日付検面調書を綜合すると、被告人は柴田から所得税の確定申告をするのに必要だからといつてその種別を限定することなく、資料の提出を求められたのに対し、ことさら経費のみの資料しか提出しなかつた(前記売上メモを除く)ことが認められるから、柴田が所論の帳簿の提出を求めなかつたということはできない。原判決には所論の事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

三、趣意第一の三(被告人が代金の過少、水増し等をして所得金額が不明になるよう対税工作をしたと認定したのは事実の誤認であり、審理不尽であるとの主張)について。

大木掌次郎に対するてん末書、被告人の昭和四四年三月一二日付、昭和四五年二月一七日付、同月一八日付検面調書、昭和四三年八月一日付、同年一二月九日付、同月二〇日付てん末書、押収してある和解調書(写)(東京高裁昭和四八年押第八六二号の九三中の昭和四〇年五月二二日付沼津簡易裁判所における申立人被告人、相手方大塚仲秀間のもの)を綜合すると、被告人は原判示のパチンコ遊技場「三島八億」の土地、建物を大塚仲秀より代金六、五〇〇万円で買受けながら三、〇〇〇万円で買受けた旨の和解調書を作成し、また同店の開店に際し株式会社大昭和商会からパチンコ機械等を代金合計八〇八万円で買入れたのに、代金を一、二五八万円に水増しして支払い、後に同会社からその過払分四五〇万円の返還を受けたように代金の過少、水増しをして積極的に税務工作をしたことが認められる。なお関係証拠によると、右代金の過少、水増しや原判示の土地、建物購入資金の架空名義による銀行からの借入金等の事実はいずれは昭和四〇年中のことであることが認められるけれども、原審は財産増減法により被告人の所得を確定しており、財産増減法は期首の正味財産と期末の正味財産とを明らかにし、その差額を所得とする方法であるから、右の事実は被告人の昭和四一年度の期首の正味財産に影響を与え、ひいては同年度の期末の被告人の所得に影響を及ぼしていることが明らかである。原判決には所論の事実の誤認や審理不尽はなく、論旨は理由がない。

四、趣意第一の四((一)被告人が虚偽の確定申告を自らしたと認定したのは事実の誤認であり、(二)過少申告自体が所得税法二三八条(二三条とあるのは誤りと認める)の不正行為に該当するとの原判示は法令の解釈の誤りであるとの主張)について。

(一)  被告人が原判示各虚偽の確定申告をなしたことは前記一の(一)で説示したとおりである。

(二)  最高裁判所の判例は、「真実の所得を隠蔽し、それが課税対象となることを回避するため、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署長に提出する行為自体」所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為にあたると解すべきである」旨判示している(最高裁昭和四六年(あ)一九〇一号・同四八年三月二〇日第三小法廷判決・刑集二七巻二号一三八頁参照)。右判例の解釈は正当であると認めるから、これに従つて原判決の判断に誤りはない。

(三)  したがつて原判決には所論の事実の誤認、法令解釈の誤りはなく、論旨は理由がない。

五、趣意第二の一(過少申告の成立時期についての原判示は所得税法二三八条の解釈、適用を誤つているとの主張)について。

申告納税制度をとる現行所得税法のもとにおいては、同法二三八条一項の逋脱犯は所得税を逋脱する意図のもとに虚偽過少申告をし、法定の納付期限を徒過して所得税を免れることにより成立するものと解すべきである。したがつて、その後においてかりに真正な内容の修正申告をしたとしても、それが右逋脱犯の成立に消長をきたすものでないことは明らかである。原判決に所論の法令の解釈、適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

六、趣意第二の二(財産増減法によつて逋脱犯を認定したのは所得税法二三八条の解釈、適用を誤つたものであをとの主張)について。

所得税の逋脱犯の所得の確定方法として損益計算法と財産増減法とがあり、後者より前者の方が妥当であることはいうまでもないところである。しかしながら損益面に関する帳簿や伝票等が完備していない場合には財産増減法によることも許されると解すべきである(東京高裁昭和四五年(う)第一一三一号・同四六年一二月一七日第九刑事部判決・東京高裁判決時報(刑事)二二巻一二号三三七頁参照)。関係証拠によると、本件においては損益面に関する帳簿等が完備していないことが認められるから、原判決が財産増減法により被告人の所得を確定したことは違法ではない。原判決には所論の法令の解釈、適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

七、趣意第二の三(重加算税を課するほかに罰金を科することは憲法三九条後段に違反するとの主張)について。

所得税未納の場合重加算税を課せられるのは行政上の措置であるにとどまり、刑罰としてこれを科するものではなく、その場合逋脱犯を構成するときは刑罰である罰金に処せられても、憲法三九条後段に違反しないと解すべきである(最高裁昭和二九年(オ)第二三六号・同三三年四月三〇日大法廷判決・民集一二巻六号九三八頁、昭和三二年(あ)第一六五九号・同三六年五月二日第三小法廷判決・刑集一五巻五号七四五頁、昭和三五年(あ)第一三五二号・同三六年七月六日第一小法廷判決・刑集一五巻七号一〇五四頁参照)。原判決には所論の憲法違反はなく、論旨は理由がない。

八、趣意第二の四(本件において八〇〇万円の罰金を科することは利益を越えて資本課税したことになり、民主税法上許されない違法のものであるとの主張)について。

所論は独自の見解であつてこれを採用することはできない。論旨は理由がない。

九、趣意第三(量刑不当の主張)について。

本件犯行の態様、なかんずくその逋脱額が昭和四一年度分は二、一一五万九、三〇〇円、同四二年度は一、六八四万六、二〇〇円の多額に達していることや、その方法が巧妙であることなどに徴すると、被告人が本件犯行に及んだのは主として柴田守雄の示唆ないしは進言によるものであると窺われることや、本税、延滞税、重加算税などを完納していることなどの被告人にとつて有利な事情をしん酌しても、被告人を二年間の執行猶予付の懲役八月および罰金八〇〇万円に処した原判決の量刑が重過ぎるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 東徹 裁判官 石崎四郎 裁判官 長久保武)

○ 昭和四八年(う)第二九六〇号

控訴趣意書

被告人 小田木定雄

右の者に対する所得税法違反被告事件について、次の如く控訴趣意を陳述する。

昭和四九年三月三〇日

右被告人弁護人 坂本雄三

同 柴田政雄

同 筒井健

東京高等裁判所

第一三刑事部 御中

第一、原判決は次の如き証拠の評価を誤り判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。

一、原判決は「被告人が判示三店舗の実質上の経営者でありながら三者名による虚偽分散申告をした」旨認定し、そのことから本件逋脱意思が明らかであるとしている。

しかしながら被告人が右分散申告をしたことは税務申告をすべて任かした柴田守雄を信じ、同人の言うなりに納税していたからであつて、被告人自身も税務知識が皆無であつたことによる。

換言すれば右分散申告は柴田がすべて独断で決定し、被告人は何等右決定や、当該申告には積極的に加わつていなかつたものである。

右事実は被告人の原審公廷における供述によれば勿論柴田守雄の供述によつても明らかに認められるものである。即ち同人の供述によれば右申告に古屋由雄名を使用したのは暴力団との関係から、又右申告に柴田守雄名を使用したのは風俗営業として同人名義で警察の許可をとつたから、税務署の鈴木課長と相談したところ、柴田名義で申告してよい旨言われたからであることが認められる。

そして柴田は右氏名で申告をするに際し、被告人に相談したか否かについては記憶がない旨述べている。

しかし右の如き重大な事柄について記憶がない筈はなく、右柴田の供述は当然小田木に事前に相談も無く独断で分散申告をしたことを自認しているものと認定するのが当然であるのに、原判決は右を看過した誤りがある。

ちなみに仮に柴田が検察当局等に対して被告人と相談した旨述べたことがあつたとしてもそれは当時柴田自身の逋脱の共犯にも税理士法違反の容疑から逃がれるための虚言にすぎないことは充分理解できるのであり、同人は原審公廷では、検事調書を否認しているのである。

しかるに柴田守雄に右申告書を事前にみせられて承知していたが如く認定した原判決は明らかに証拠の評価を誤つたものといわなければならない。

問題は柴田守雄が何故右の如き分散申告をしたのか、その必然性と、原因の解明あり、それは原審における被告人小田木美恵子、石原国俊及び柴田守雄の供述その他の証拠によれば次の如き事由からであることが判明する。

(一) 被告人の経営する沼津八億なる営業所は実在しかつ被告人と結婚以来現在に至るも共働きをして一緒に沼津八億なるパチンコ店を経営して来た妻美恵子名で昭和四〇年八月より同四三年三月までは所轄警察の営業許可を受けており、沼津駅前地下街内の営業所も昭和四〇年一〇月より同四四年五月まで実在の柴田守雄名義で営業許可を受けており、そこには被告人の娘婿である小田木龍彦が二四時間働らいていたのであるから、合法的な節税として被告人が単に出資者となり、小田木美恵子なり小田木龍彦又は柴田守雄なりと出資契約を締結し、営業収支の帰属を被告人以外の帰属にして経営すれば分散申告による一個人による累進課税による高課税を合法的に避け得た筈であり、又法人組織にすればより高額課税を避け得られて節税分だけ企業留保が出来た筈である。(柴田政雄作成の年度別課税額及び税額内訳と題する書面三枚目参照)

何も態々分散申告のため仮空名義や他人名義を使用する必要はない。

各地の全国名店街にある菓子舗その老舗は全てといつて良い程右の如き形態をとつている。

会計事務所の事務局長と称し長年の税務事務を有する柴田守雄が右の如き簡単な繰作を知らない筈はない。

しかるに柴田が被告人の供述によつても明らかな如く同人の法人組織にして欲しい旨の依頼を無視して敢えて柴田守雄名義や仮空名義で被告人の所得を分散申告した理由は明らかに次の二点からである。

第一点 柴田が被告人より受取つた顧問料その他の報酬や、自己が関与している他の税務顧問先である小島政宗に対して支払つた被告人の店舗の賃料等について正に脱税していたがため右を糊塗するために実在の被告人の身内名義で申告したのでは当局の調べを受けた時すぐに発覚することから不都合であること、並びに秘かに被告人の弱身を握ることによつていざというときには同人をして柴田の言成にさせてより利を取得できること。

第二点 柴田事務所のすぐ裏手にある税務署の担当責任者に所謂顔を利かせることが出来たため仮空人による申告等についての調査を何とか、うやむやに済ませる自信があつたこと、換言すれば税務署との不正な癒着関係に対する自信の存在。

(二) (右第一点について)

柴田が昭和四一年から同四二年にかけて毎月被告人から受取つていた顧問料二〇万から三〇万円、並びにその他被告人のSOビルの建築や、土地取得毎に得ていた利益をすべて申告せずに被告人に対する国税局の昭和四三年の強制査察により発覚して修正申告させられた事実は柴田守雄の国税局に対する昭和四三年一二月二三日付質問てん末書問一五項により明らかである。

被告人が沼津八億の店舗の賃料毎月二五万円を本件当時家主小島政宗に支払つていたにもかかわらず同人の税務申告代理人である柴田が右賃料の正確な申告をせずに脱税していた事実は国税局に対する小島政宗の昭和四三年一一月二三日付質問てん末書により明らかである。

又石原の供述によれば小田木が持参した機械の購入費四百万円だかを柴田は被告人に秘して石原に命じて借入させたりしていたことも明らかである。

かくては被告人が正確な右支払諸経費の記載メモを柴田に持参したが、柴田はそれをそのまま集計するわけにはいかず、経費が減れば正常な経費累積から正常売上の推計を出すことができなくなるのは当然で、従つて申告書の収入金額欄必要経費欄も空白で、いきなり所得金額を記入している。(原審昭和四六年押第三一の五五、五八の各申告書)

始めての申告ならいざ知らず昭和三六年からの申告に全然右の如き記載がなくその間税務署から何等の注意も質問調査もないこと等本件弁護人等の税務申告等の経験から言つて信じられない。

税務署は毎年必ず申告書には目を通しているのである。

これでは被告人自身申告書を見せられても、複雑な控除項目等のある税務計算上申告額が正しいかどうかおよそにしろ正確に判断できない。

複雑な数額を基礎とする税務規範である逋脱罪において、被告人が右申告書をみて税金がある程度安いのではないかと感じたとしてもそれだけでは逋脱意思があつたことにはならない。

被告人は当弁護人等が話していても余りにも人の良いことには驚く程法律事務には無知である。

もつとも弁護士といえども正確に税務知識を有する者は少ないことを考慮するとき、被告人の無知は当然のことかも知れないが、被告人が昭和三五年頃柴田に税務申告を依頼する動機となつた、店がヤクザ者に荒らされたとき以来被告人は何かと言うと柴田の言う通りにせざるを得なかつたし、又そうせざるを得ない事情も柴田によつて作られて来たのである。SOビルの問題も然りである。

被告人が買つた土地は柴田の名義にしておいた方が賃借人を追い出すのに都合が良いから等と勝手な口実の下に柴田の名にされても、その時は何の疑いもせずに信用してその通りにし、しかも和解調書の内容も税務対策上からか被告人に無断で柴田が売主に金員を賃付けて代物弁済を受けたことになつていた。

後日さすがに被告人が恐くなつて自分名義に戻して欲しいというと、駐車場にしたいとの被告人の意に反して、それならビルを建てろ、そうでなければ他に転売しろと柴田は言い、結局被告人は柴田の言分を聞かざるを得なかつた。

その間ビルの建築は柴田が一切取りしきり、業者からリベート等を受取つていたことも想像に難くない。

弁護人提出の小島政宗との昭和三六年の家屋明渡等和解調書も同様である。小島の店舗が何時の間にか半分柴田の所有名義になつており、被告人に相談なしに同人との右建物の賃借契約が解除されて明渡猶予期間中賃料相当の損害金を支払うことになつている。

右の如き事実は被告人の税務対策上何の利益にもならないものである反面被告人は何時の間にか柴田に頭が上がらない状況に追い込まれている状態にあつたことも事実である。

例えば景品のタバコを柴田の店より買わせられており、品不足により他より取り寄せると右店舗を貸さないと柴田より言われて夫婦して平身低頭して謝つたこと等からも右事実は明白である。

かくして柴田は以上得た自己の所得や小島の賃料等の脱税のために被告人の申告名を柴田守雄や、古屋由雄なる仮空名にせざるを得なかつた。

けだし仮に小田木美恵子や同龍彦等の名にすれば当然実在の同人等の処に行き調べがあつた場合柴田の申告操作と矛盾して柴田の不正が発覚することは火を見るより明らかだからである。

しかもそれを被告人には勿論秘していたものであり、又被告人自身税務には無知で税務専門家である柴田の申告は正しいと信じていたものであり、仮に少しおかしいと思つても前述の如き状況から問い質すこと等到底出来得ない状況にあつた。柴田が自己の利益のために仮空名義等で申告していたことは柴田が小田木に対して税務署に開示するための売上帳等は白色申告だから作らなくても良い、法人等にしなくても俺が税務署と話をつけるからよい旨被告人に述べていることからも益々明らかである。

被告人が税務に無智で柴田や税務当局の言い分を信じていた証左としては、柴田から指示されれば昭和四二年一〇月二一日従来の申告の何倍もの修正申告をなし強制査察が入れば国税局の言い成りになつて起訴額より何十万か多い修正所得を申告していることからも明らかである。

(三) (右第二点について)

柴田が前述の如く仮空名義等の申告を継続できたのは税務署との非難されるべき癒着があつたからである。

本件古屋名の申告書も、小田木名の申告書も職業欄にはそれぞれ遊技場八億と記載してありながら収入欄や経費欄には何の記載もないまま数年間放置し、しかも昭和四二年一〇月二一日右古屋や柴田名の申告を小田木名一本で修正申告させながら格別更正処分による重加算税も賦課せず許容しながら、その後四二年分の駅前地下街の申告を再度柴田名にて柴田が申告をしているのをそのまま放置し、その後税務当局が強制査察をしたことは納税者に対する重大な背信行為として非難されるべきである。

即ち税務当局が被告人が仮空名義や他人名義で当初の納税したことを数年放置していたことは怠慢にせよ許されないことではあるが、本件は絶体に過失による不知の怠慢ではなく、古屋名等の申告が全て被告人の所得であることを承知しながら税務当局と柴田との通謀により敢えて放置していたことは絶体疑のない事実である。

沼津税務署と目と鼻の先にありしかも八億なる大きなネオンを掲げたしかも駅前にある被告人の営業所の所得について仮空名により分散申告したことを狭い人口二十万の都市で知らずに済ませる等絶体にあり得ない、ちなみに右八億と駅前地下街は駅前通りをへだてて向かい合つている。

しかも収入欄も経費欄も記載しない申告に毎年目を通しながら何等の調査もしない等絶体あり得べからざることである。

しかし現実に右があり得たことは取りも直さず税務当局との非難されるべき不正な癒着があつたから税務当局は柴田の不正申告をしりつつそれを黙過したのである。

現に昭和四二年一〇月二一日古屋、柴田名の申告も小田木名に一本にして修正申告したのに対して何の更正処分による重加算税も課していないのは何よりの証拠である。(もつとも後述の如く強制査察後右修正申告を無視して重加算税を課したが不当である)

しかるに昭和四二年分について同四三年三月再度柴田名に分けて分散申告をしたから、その後強制査察をしたというならば、何故昭和四二年にその旨被告人本人に一言注意しなかつたのか、又更にはそれ以前何故職務に忠実に事情を調査して被告人に注意しなかつたのか。

若し税務当局が職務に忠実にしかも民主納税主義の立前から被告人は驚愕すると同時に直ちに柴田に対する申告委任を打ち切つたであろう。

又少なくても昭和四〇年分から同四二年分迄の三年間の所得とほぼ同額近い重加算税等の追徴税も含めた酷税の賦課を免れた筈である。

それを税務署の柴田との癒着から柴田の不正申告を故意に看過し、巷間伝え聞く税務署内部でも右の癒着が問題になり、昭和四一年分迄については同四二年の修正申告でうやむやにしたが、同四二年分再度の分散申告で遂に内部での押さえが利かなくなりその間被告人は全然つんぼさじきに置かれながら急拠上級官庁である名古屋国税局の強制査察を入れる等被告人にも落度はあるかも知れないが、親切な納税指導を旨とすべき税務当局のやり方としては断じて許せない。

かくては税務当局は納税者が脱税するのを故意に放置して、正規の課税額の外に重加算税年三〇%、過少申告加算税年五%及び以上全ての未納税額に対して実に日歩四銭(年一四、六%)(国税通則第六〇条、第六五条、第六八条)なる高利貸以上の酷税を獲得せんものと虎視耽々としている如きものであつて、専制君主国家の暴制を思わせるものがある。

それに不正申告の本人である柴田守雄が前掲質問てん末書のみによつても実に小田木より受取つた一四〇〇万円を無申告で脱税していながら、何等逋脱容疑で取り調べも起訴もされなかつたのは何故かそれは言う迄もない柴田を逋脱で起訴することになれば税務官庁の醜悪を世間に発表することになると困るのと、被告人に言われて柴田が不本意ながら不正申告をしたが如く調書をとり、被告人を逋脱の張本人に仕立て上げるためである。

事実柴田の国税局の質問てん末書はすべて柴田は小田木に注意したが小田木が提出した資料で止むなく売上の計算等をして小田木のいうとおり申告したと述べているが右は当法廷における柴田の供述のみならず石原や杉山の供述によつても事実が逆であることは明らかであり右については反論する必要もない。

(四) 以上述べてきたことからも明らかな如く本件申告に不正行為があるとすれば、それはすべて柴田守雄が自己の不正を隠ぺいするために被告人に独断で行なつたものであり被告人には逋脱のための偽りその他不正の工作をしようとする積極的意思は何等存しなかつたのである。

前述の如く被告人は昭和四二年一〇月に過年度三ケ年分について古屋なる仮空名義や柴田守雄なる他人名義の申告を(柴田に対する税務当局の注意があつたことは想像に難くない、よつて)態々被告人名に一本にして修正申告しながら柴田が勝手に申告したにせよ昭和四二年分について再度柴田守雄名との二本建にして申告して税務当局が何等疑いを持たないと考える等およそ常識では考えられないところであり、右事実こそは逆に被告人の柴田に申告をすべて任かせ切つてその正当性を疑わなかつた被告人の無知を即ち逋脱の故意のなかつた証拠でさえある。

(五) 判例学説も認める如く納税者誰もが消極的には法的に支払義務のある高額な税金を少しでもごまかして低廉に済ませようとする気持があることは否定できない。従つて逋脱意思が認められるためには判例もいうように税の賦課徴収を不能もしくは著るしく困難ならしめるような偽計その他の工作を行なう積極的な意思が必要なのである。偽計その他の工作自体は場合によつて消極的なものもあり得ても、そのような工作をする意思は積極的なものでなくてはならず、かつ税の賦課徴収を不能もしくは不能と同評価の著るしく困難にせしめる工作が必要なのでその意味では積極的な工作ともいえるが、いずれにせよ被告人には右に該当する所為並びにその逋脱意思はなかつたものである。

(六) ちなみに被告人が柴田に希望していた如く仮に昭和四一年より同人の企画を法人組織にしていたならば昭和四一年分の起訴課税所得と同一額についての法人税額は一三、九五六、〇〇〇円であり本件所得税二一、六三八、四二〇円との差は七、六八二、四二〇円の節税となる。

昭和四二年分についてもほぼ同様の節税になる。

弁護人の提出した証拠である年度別課税額及税額内訳と題する書面三頁における法人税の当該年度の試算は役員報酬並びに法人に認められた各種引当金や積立金を考慮しないで逋脱所得金額を法人利益として税額を算出したものであるから、右各項目を控除した場合所得税に比して約一、三〇〇万前後の節税になる(役員報酬一人年間五百万円×三人の一、五〇〇万、退職金引当金、その他損失引当金等各種引当金等を年間二〇〇万程度は被告人の所得規模からみて通常である)

右事実からみても被告人に正確な税務知識があれば脱税等という危険を犯さなくても、法人組織にしておれば昭和四二年一〇月における同四一年分の修正申告の所得金額並びに税額とほぼ同様の算出が合法的に可能であつた。

それにもかかわらず態々重加算税や逋脱罪による罰金と課せられるような危険を被告人が犯す意思があつたとに到底考えられないところである。

二、原判決は被告人が「売上金から適宜預金したりして所得の一部を秘匿していたこと(中略)本件確定申告書の作成を依頼するにあたり、経費のみの資料を提出したにとどまり、売上関係、預金、借入金関係の資料を提出していないのであるから柴田において適当に所得額を決めて申告することはあらかじめ十分承知していた」旨認定し被告人の逋脱意思を認定している。

しかしながら被告人は売上関係の帳簿を作成しなくてもよい旨柴田から言われて、柴田に提出しなかつたのは前述のとおりであり、完全な意味での売上帳簿を作成しなかつたのは、むしろ柴田がそれを嫌つたからでありその理由は前述のところから判明する如く、柴田の都合により分散申告する関係上、あつては困ると同人が考えたからに外ならない。

それに御留意願いたいのは原審昭和四六年押第三一号の一、二、三の売上金出納帳及び同号の一二四の売上帳である。

右はいずれも被告人及び被告人の妻である小田木美恵子が作成したものであり同号の一を除いて、いずれも入金支出は正確なものであり、柴田が作らなくてもよいといわれても不完全ながら作つておいたものであり、同号の一だけは一割から二割の売上を削つて記載したものであり、右の柴田から顧問料等の名目で余分の請求をされないために柴田向に作つたものであることは被告人の供述によつても明らかである。

即ち少なくても被告人は柴田に見せろといわれれば見せる積りで同号の一を作つていたこと、換言すれば柴田(従つて税務署)が売上帳の呈示を税務申告のために要求すれば同売上帳従つて又他の前掲売上帳を調査出来たものであり、しかもその売上よりの除外は一割か二割であつて、本件逋脱認定額には到底及びもつかない数額であつた。従つて又被告人が一定期間沼津八億店のみの売上について一割乃至二割の売上を除外したものについては税務署申告の計算に用いられることを予期していたかも知れない。だとすればその部分についてのみは後述の如く逋脱のための不正行為が認定される可能性はある。

しかしそれは本件の逋脱額に比して僅かの割かの割合の比率にしかならず、現に国税局も右売上帳等から 脱額の算定は放棄し、財産増減法によつたものである。

従つて逋脱額算定のために敢えて無視した売上帳を把えて原判決が「所得の一部を秘匿していた」と解したことは基本的な誤りである。

それに被告人に提出した経費関係の資料はすべて真実なものであることは被告人の供述からも明らかであるばかりか原審で押収された証拠によつても本件税務申告に用いられた経費関係で不正な工作をしたものは一つもない。

よつて原判決が本件税務申告について所得の一部を秘匿した、と認定したことは独断である。

ちなみに所得税法上個人事業の白色申告については売上帳簿等の作成義務はなく(所持税法第一四八条、同施行規則第五八条参照)又作成したとしても呈示義務はない。

従つて被告人が前掲各売上帳を所得の一部として作成していたからといつて、税務署が呈示も求めないままにそのままにしておいたからといつて所得の一部を秘匿したと解するのは誤りである。

右は国税当局自身右売上帳を以つて本件逋脱額算定の資料としていないことからも自明の理である。

三、原判決は「被告人は土地、建物、パチンコ機械類等の購入などに際して、代金を水増したり、過少にしたり、あるいはその資金を銀行から借り入れるにあたつて、架空名義を用いる等積極的に総所得金額が不明になり、ひいては所得金額が不明になるような対税工作を行なつている事実が認められる」と判示して右は逋脱意思の証拠になると断定している。

しかしながら被告人の支払つた機械代金等について、前述の如くその取得経費たるべきものを柴田は勝手に借入にする等、むしろ被告人に所得額の計算上不利に操作されたことはあつても、水増等の事実はない。

右について原判決は明らかに審理不尽である。土地建物等の購入代金も、支払名目は柴田が前述のように操作したにせよその支払額そのものは正確であり、又売上の一部を仮空名義の定期預金等にしたことはあるが、それも前述の如く柴田向にしたものであるが、それはさておき、右はいずれも本件申告以前の事例であることは、検察官の冒頭陳述添付の修正貸借対照表からも、昭和四一年分については前年比マイナスになつていることからも明らかである。

よつて原判決の認定は右についての評価を誤つて不当なものであるといわざるを得ない。

四、原判決は「所得の一部を秘匿したうえ所得金額をことさら過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署に提出すること自体所得税法第二三八条にいわゆる不正行為に該当する」と判示した。

しかしながら前述の如く被告人は本件申告書の作成には何等関係せずすべて柴田が自己の都合から勝手に申告したものであるから、仮に被告人が申告書作成後に単に差引計算後の所得額を見せられたことがあるとしても、その一事を以つて被告人が虚偽申告を自らなしたと認めることは誤りである。

しかも過少申告自体が所得税法第二三条の不正行為に該当する、とした原判決も右法令の解釈を誤つたものと言わざるを得ない。

けだし、例えば一〇〇万円の所得を五〇万円に過少申告するのと全く秘匿して無申告であつたのとでは前者の方が情において軽いのは明らかであるからである。

しかるに無申告なら無罪、過少申告なら有罪であるというのでは却つて納税者をして無申告に駆りたてることになり不当である。

最判昭和四二年一一月八日大法廷判決(刑集二一巻九号一一九七頁)が所得税の逋脱罪が成立するについては、その故意の外構成要件該当性としての偽り、その他の不正行為として、税の賦課徴収を不能もしくは著るしく困難ならしめるような偽計その他の工作を行なうことが必要である。と判示したが、その趣旨の背景にあるものは、卒直に言つて逋脱犯は自然犯と異なり近代社会における支配権力者による創設された人為的なものであり、納税者誰しもが納税を出来れば免れたいとの願望を多かれ少なかれ有しているのが人情の必然であることをも考慮したからに外ならない。

従つて納税者が積極的な脱税工作を行なわない以上敢えて逋脱罪として残酷な刑罰を科さないものと解釈されるべきものである。

又敢えて刑罰を科さなくても過少申告、重加算、遅延等の各種付加税により、容易に税徴収の目的は行政措置に達せられることは後述のとおりである。

税務知識のある者と無い者の間においてさえ現実には税額に差異が生ずるのは人為的な規範である税制には本質的につきまとうものである。

以上のことを考慮するとき原判決の如く過少申告か、無申告か自体によつて先ず第一次的に逋脱の要件行為としての不正行為の有無を決定することは違法である。

要は個々の事情に即して、被告人の税務知識等も考慮し、右不正行為が行なわれたか否か右大法廷の趣旨により判断されるべきものである。

被告人に右不正行為がなかつたことは次に述べる事由から明らかである。

(一) 被告人が所得税の申告を一任していた柴田守雄に対して税算出の基礎として提出した資料はすべて正確なものであり、何等不正資料はなかつた。

所得税法第二三八条における逋脱罪の構成要件としては単に「偽りその他不正の行為」と規定するのみで何等その具体的内容を例示していない。

ところで国税通則法第六条の所得税に対する追徴税としての重加算税は実際上は逋脱罪の構成要件と同じであると言われているが、右規定によればその構成要件として「納税者が税額等の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところに基き納税申告書を提出していたときは」重加算税を賦課する旨を期定し、逋脱罪の不正行為の解釈にも指針を与えているが、税務当局は右重加算税賦課の構成要件の解釈例示としてより具体的詳細な税務通達を次の如く昭和二九年に出していた。(昭和二九年直所一-一通達八三号)(註)

(註) 右は脱税意思と関連して当該行為が右に該当するからといつて、厳しく重加算税を課するのは適当ではないのでその後(本件犯行前)廃止された。

(二) そこで被告人の所為が右通達例示に該当するか否かを論じてみる。

しかし御留意願いたいことは、立前とは言え逋脱罪の成否は刑事罰としての制裁の問題であり、重加算税の賦課はあくまで行政上の措置の問題であり、従つて前者の不正行為の解釈に当つては後者のそれより、被告人に有利に厳格に解釈しなければならないことである。

(イ) 二重帳簿を作成して所得を隠ぺいしていた場合における当該隠ぺいされていた部分の所得。

被告人は何等右に該当する行為をしていない。

二重帳簿とは商法第三二条の予定する仕訳帳及び総勘定元帳が二重に作成されていたものと解されている。

単なる補助簿の二重記載の内容は必ず右主要帳簿に反映されなければ意味がない。

ところで被告人は右は意味での二重帳簿を全然作成しておらず、単に景品や人件費その他の経費等のメモを作成していたにすぎず、しかも柴田守雄に呈出した右資料の記載には前述の如く全然偽りの記載がなく全部真実のものであつた。

検察官あるいは平均して日に売上の一割程度の売上を抜いて記載した現金出納帳(御庁昭和三六年押第三一号の一号)を以つて偽りの帳簿というかも知れないがそれは明らかに誤りである。即ち右出納帳は被告人が供述する如くあくまで後述の如く柴田から過大な顧問料等の報酬要求を避けるために同人に見せる場合の用意として記載していたものであつて、税務署に見せるためのものとして用意していたものではない。

脱税認定要件としての二重帳簿の作成は事柄の性質上言う迄もなく税務署に対する公開用として偽りの帳簿を真実の帳簿とは別個に作成しておくことを意味するものであつて、しかも前述の如き主要帳簿を意味するものである。

右出納帳及び同号の二には、なる程本件事案の昭和四二年分の一部である同一〇月より一二月までの三ケ月分の記載はあるが、右出納帳には明らかに〈1〉と〈2〉とか、0×35の記号が付してあり右は被告人が認めるように売上入金欄に記載してある数字より実際の売上が五万円とか一〇万円多いことを意味しているか、まさか被告人が自己の記憶のために記載した一見して税務当局が調査すれば意味のわかる記号の記載ある右出納帳を当局に見せるためとして用意しておく筈はなかろう。

同出納帳の一部の葉には右記号の記載がなく靴下代金等の景品や当月分給料等の記載のある同一〇月分より同一二月分までの記載のある部分がある。

しかし右が過大な顧問料等の要求を避けるための柴田向に作成されたものであることは被告人の当公廷における供述により明らかであり右に反する供述記載が仮にあつたとしたら右については弁護人等は証拠能力に同意したものではなく信用できないものである。

ちなみに国税局の被告人に対する昭和四三年七月一七日付質問てん末書(検察官提出証拠目録乙記載請求番号二五)に弁護人が同意したのは、右出納帳の前述の記号についての被告人の当公廷における説明供述を省略する意味においてであつて、当該てん末書におけるそれ以外の被告人の供述記載は不同意である。

右は柴田守雄関係の調書等において、柴田守雄が被告人の申告をするについて、すべて被告人の指示によつた旨の記載が残つているとすればそれも後述の如く事実に反するのが明らかであるから不同意である。

審理の簡明促進のため、できるだけ他の部分について同意したものが、前後の関係で本来不同意部分が漏れて入つてしまつたとしたならば、それは明らかに真実に反し錯誤であるからその部分の同意は撤回する。

従つて御庁においても他の証拠から右について充分な配慮をお願いします。

ところで右出納帳記載の部分は同四二年分の三ケ月間だけであり、完全なものとはいえず、主要帳簿にも反映されていない。

しかも、何百何千万円の建物付属設備とか器具備品等の本来経費としての購入支出は計上されておらず、右自体からは正確な収支計算は出来ない。

だいいち当日の売上より抜いた金額は月商の一割前後であり、右より当該割合の経費を差引いた残額は本件逋脱額から見て取るに足らない額であり、だからこそ税務当局は右出納帳より脱税額の計算をすることは放棄しており(幾ら売上が多くても経費が多ければ赤字になる)逆に本来経費として所得から差引くべき建物付属設備等の支払を資産として所得額計算の基礎としている。

従つて右は重加算税賦課の要件としての「隠ぺいした当該所得の部分」には該当しない。

ましてや本件逋脱罪の要件である不正行為として無視されているものであり、又無視されるべきものなのである。

御庁同押第三一号符一二二号現金出納帳綴の未部分に編綴されている同四二年四月より一二月迄の記載も各数字の前後を削つて内容を判読する等これ又被告人の記憶の資料としたものであつて税務署向開示のためのものでないことは明白である。(註)

(註) 逋脱の意思があつても単純消極的な不申告又は過少申告は逋脱罪にならないと解すべきことは前述のとおりである。

従つて秘かに自分の参考にするだけの真実の売上帳を有していてもそれだけでは判例の言う何等かの偽計その他の工作に該当しないことは当然である。

いずれにせよ右以外の売上帳簿なるものは存在せず、又右帳簿も税務署にも柴田にも売上の資料として提出したものでもなく、又同人等はみようともしていなかつたことに御留意頂きたい。

(ロ) 売上除外、架空仕入、もしくは仮空経費の計上その他故意の帳簿を作成して所得を隠ぺいし、または仮装された部分の所得。

被告人は右に該当する所為はしていない。但し売上除外について前掲出納帳について問題にならないことはこれ又前述のとおりである。

それに以上とは収支計算法による場合にのみ意味のある各項目であつて財産増減法による場合には意味がない。

(ハ) 棚卸資産の一部を故意に除外して所得を隠ぺいしていた場合における当該隠ぺい部分の所得。

確しかに被告人は仮空名義や他人名義の定期預金等を有していたが同四一年分における定期預金総額が前年比マイナス(負債)になつており、同四二年分についても右定期預金等の当該当期増減金の部分は資産の部における当期増減金総額の二割にも満たない。

従つて収支計算法によつて当該仮空名義の定期預金等の増加部分のみを収入増加分として経費を差引いて逋脱税額を起訴し又有罪としたのならば意味があるが、それは逋脱罪として起訴するには他の納税者に対する取扱と比して公訴状の濫用ともいうべき僅少額である。

従つて財産増減法により何等偽計のない他の小田木名義の多くの財産を含めて逋脱所得を計算した本件事件では右程度の仮空名義は不正手段としては問題にならない。

問題になるとすれば当該部分のみに訴因を変更し判断し直すべきである。

だいいち右仮空名義の定期預金等も前述の売上メモと同様柴田守雄に対するいきがかりから作るようになつたことは被告人の供述からも後述の如く明らかである。

(ニ) (税務当局に対する)虚偽答弁、取引先との通謀、帳簿又は財産の秘匿その他の不正手段により故意に所得を隠ぺいし、または仮装していた部分の所得。被告人が右に該当する所為をしている事実はなく本件全証拠によつても右を証する証拠は全くない。

そもそも収支計算法によらずに財産増減法によつて被告人名義の資産を集計して過年度と対比し逋脱額を算出した出発点において税務当局は不正手段による逋脱額発見の正確な方法による努力を放棄してしまつたものであり、後述の如く財産増減法による推計課税が甚だ不正確なものであることを考慮するとき右方法の使用は行政上の措置としての更正等による重加算税等追徴税算定には止むを得ないものとしても(所得税法第一五六条)刑事犯としての逋脱罪における逋脱額算定の根拠にすることは違法であると解する。

ちなみに逋脱罪として本件の如く被告人の全科目に亘る全資産を財産増減法によつて起訴した例は寡分にして本弁護人等は知らない。

従来多くの逋脱罪において一見財産増減法によつているかの如きものも見受けられるが、すべてが科目の一部か又は法人税乃至は個人青色申告における事犯で帳簿備付義務があり、個人白色申告の場合と異なり業種別の所得標準率による推計課税によらない場合税務当局に開示した帳簿等との相違から記載漏れの資産を財産増減法によつて推計して対比した場合である。

被告人には帳簿備付義務もなく、申告漏れの資産と対比すべき何等帳簿を税務当局に開示したこともないのに、後述の如く単に被告人の供述(自白)のみにより領収書もなく逋脱増加質産(機械設備等)を認定することは「何人も不利益な唯一の自白を以つて有罪とされ、又は刑罰を科せられない」とする憲法第三八条にも違反する。

(ホ) その他明らかに故意に収入相当部分を除外して確定申告書を提出し、または給与所得その他について源泉徴収を行なつていた場合における当該除外されていた部分の所得。

被告人は右に該当する所為をしていない。

被告人が同人の税務申告代理人である柴田守雄に持参した経費関係の資料はすべて正確であり、年間を通じての正確な売上を記載すべき帳簿は作成されておらず、又柴田から作成の要求も呈示も要求されなかつたことは小田木の供述のみならず、柴田や石原の供述によつても明らかであり、柴田はむしろ右帳簿の作成を嫌つていたものである。しかるに柴田は被告人にも一言の相談もせずに総収入金額や経費の金額を申告書に記載して申告していたことは当該各年度の申告書によつても明らかである。

それでは何故柴田が右の如く勝手に申告書を作成したかの理由は前述のとおりである。

尚ちなみに個人白色申告では何の帳簿作成義務も納税者には存しないこと前述のとおりであり、その点について御留意頂きたい。単に自己の資料として売上メモ類を有していたとしても、何の要求もないのに積極的にそれを呈示しなかつたからといつて、それ自体何等積極的な脱税工作にはならない。けだし、そうでなければ白色申告にも帳簿作成義務を課したのと等しいことになるからである。

第二、原判決には次の諸点において、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈適用の誤りがある。

一、原判決は「逋脱犯は分散虚偽過少申告をなした後法定納期限が経過した時点で成立し、その後真正内容の修正申告をしたとしても一旦成立した犯罪の消長に影響を及ぼすものではない」旨判示した。しかしながら既述の如く逋脱犯は自然犯と異なり、人為的な規範であり、納税者誰しもが道徳的なものとして喜んで納税するものでない。

だがらこそ為政者も民主納税制度として始めから強制賦課制度を採用せずに、少しでも納者に嫌悪感を与えないようにしたのが自主申告制度なのである。

そして確定申告に誤りがあれば、それが故意であろうと過失であろうと、速やかに自主的に是正申告させようとしたのが所得税法の修正申告制度なのである。

法定納期限を一日でも過ぎれば例え非を反省して自ら修正申告しても(起訴猶予にするか否かは別として)、当初の申告に逋脱意思があればそれは逋脱罪を構成し刑事罰を以つてのぞむことができる、とするのであればそれは自主申告制度の破壊を意味するものであつて賛成できない。

例え右修正申告の動機が税務当局の強制査察等によらない好意的な示唆によるものであつても同様である。

けだし、そうでなければ所謂囮捜査と同様それは違法であるだけでなく誰もが税務当局の納税者に対する巡回調査、定期的調査や質問に対して協力をしなくなるであろう。

本件における被告人の右修正申告は強制査察その他逋脱の疑いがあるものとしてなされたものでないことは右が更正又は決定に基くものではなく更には右修正申告に対して逋脱罪の構成要件と実際上同じ要件の下に賦課される重加算税が課されていないことからも明白である。

従つて税務官庁自ら右修正申告を最終的な自主申告として許容し扱つている以上右修正申告を無視してそれ以前の古屋名義等による当初の申告を訴因における基準として本件の如く逋脱を認定することは許されない。(註)

(註) 納税義務者が新事実に基く訂正をもはや期待の要のないことを税務署がその行態により示すときは、新事実に基く訂正は問題にできない、と一九五一年一〇月三日ドイツ連邦財政裁判所は判示していることを御参酌ありたい。(B.H.F)(六部五五年一一五号 STEUERUNDWIRTSCHAFT1958NR130)

右同旨中川一郎信義誠実の原則税法の解釈及び適用三四四頁)

二、税務当局が本件逋脱事案について重加算税を賦課徴収しながら、財産増減法によつて本件逋脱罪の起訴額を認定し、かつ原判決がこれを有罪としたことは次の如く所得税法第二三条の解釈としては違法である。

検察官の冒陳要旨添付の修正貸借対照表資産部における建物付属設備、構築物、店主勘定その他の項目において総計何千万かの金額については、単に主として被告人の供述記載のみによつて認定されており、他に領収書等の物証はない。

人間の記憶の不正確なことと相俟つて、被告人自身本件逋脱額の認定が財産増減法なるもので行なわれる等知る由もないから、通常行なわれ収支計算法によればほとんどが経費である右領収書のない金額について、税務当局の質問に迎合してむしろ過大に述べさせられ又述べたことは被告人の供述によつて認められるばかりでなく日常の経験則上容易に肯定できるものである。

その結果収支計算法によれば少なくなる所得額が逆に増加してしまつた。

弁護士でさえ税額の計算について財産増減法なるものがある等何人知つているであろうか。

かくして本件逋脱額認定が財産増減法により行なわれていることは前述の如く甚だ不正確であるが故に、右方法を重加算税認定のために使用することは、それが行政上の措置であるがために判例によつて辛ろうじて許されても、刑事犯としての逋脱額認定のために使用することは許されないものと解する。

「被告人の供述のみによつて認定した前述の資産額については被告人の唯一の自白を以つて有罪にしたり刑罰を科せられたい、とする憲法第三八条違反であることは前述のとおりでもある。」

本件逋脱額の認定が不正確であることは何よりも、その後物価が上昇し、市況の良かつた昭和四三年分についての被告人の所得税の申告書によれば、その収入金額は訴因に掲げられた逋脱所得に比して各年度約一、四〇〇万円少ない差があり、税額にして各年度約三〇〇万円少ない差があることからも明白である。

右弁護人提出の四三年分の申告は国税局がその申告依頼を勧告してくれた上田税理士が長期間しかも本件強制査察等の最中において厳重なる調査の上申告したものであることに御留意願いたい。

三、逋脱罪における罰金の追徴税殊に重加算税の併科が憲法第三九条の一事不再理に反する違憲か否かはつとに争われていることは周知のとおりである。

最高裁は前者が刑事罰、後者が行政上の措置であるとの形式論から違憲でない、とするのみで何等説得的判示をしていない。(昭三三、四、三〇、大法廷民集一二巻六号九二八頁)

しかし追徴税が行政上の措置であり、罰金が刑罰であるのははじめからわかりきつたことである。

問題は重加算税の賦課が実質行政罰としての刑罰であるか否かである。

判例も追徴税が申告を怠つた者に対し「制裁的意義を有することは否定し得ないところである」と自らも認めながら、単に立前として前者は「納税義務違反の発生を防止し、以つて納税の実を挙げんとする趣旨に出た行政上の措置」で刑罰でないが後者は脱税者の不正行為の反社会性ないし反道徳性に着目した制裁であるから刑罰であるとしている。

しかし重加算税賦課の要件である「事実の隠ぺい又は仮装」も不正行為であり、反社会性乃至税制国家における反道徳性を有することには変りはない。

例えば国家公務員が職務に違反した結果、一方行政処分としての懲戒免職という負担を課せられると同時に他方刑罰として罰金という負担を課せられる場合においては両者負担の性質が異なるが故に併立しうることは理解できる。

けれども追徴税と罰金は脱税を理由に課せられる金銭的負担であり、現実の処分結果は金銭的苦痛という点では両者全く同性質のものであり、処分主体も同一の国であるのに前者が行政上措置であり、後者が刑事罰であり単に発想が異なると強弁しても国民一般は納得できない。

従つて両者併科は絶体に違憲であることを確認する。

学説の多くも違憲説か又は合憲説に立つていても重加算税が刑罰と類似した実質を有することは認め完全に合憲として疑わない説は少ない(板倉宏ジユリス別冊租税判例百選一四一頁等)

四、被告人は既に重加算税等の追徴税も含めて昭和四〇年分より同四二年分の所得に対して実に九七、三三一、〇一〇円を納税している。

右は同年分の課税所得一〇三、四七五、〇〇〇円に対する約九五%に当る。

仮に本事件において、八〇〇万以上の罰金を科したとするならば正に利益を越えて資本課税したことになり、右は民主税法上許されない違法のものと解する。

第三、原判決には次に述べるが如き量刑不当がある。

一、 既に述べた如く本件逋脱の責任の大半は柴田守雄の所為と同人と税務署との癒着関係にあるもので、同人等の責任を看過しながら、独り被告人の責任を問うのは酷であり不公平である。

しかも税判例も認める如く納税者誰もが税を免れたいと考えている事柄における税法犯の性格上被告人は既に前述の如く莫大な重加算税等も税務当局に指示されるがままに資産を処分し、一部借金迄して筆絶に尽くせない苦労をして素直に支払つており、右に懲りて今後は二度と逋脱事件を引き起さないことも充分保証できるので判決に際しては原判決を破棄して罰金刑のみを選択して頂きたくお願いしたい。

原判決摘示の昭和四八年三月二〇日三小法廷判決の事案においても、二審判決は被告人より量刑不当の主張はなかつたが職権を以つて量刑が重過ぎると判断して罰金と懲役刑(執行猶予)を併科した一審判決を破棄して罰金刑のみ言い渡したが、右最判は右を支持したものである。

右事案は本件の如き柴田の所為や、同人と税務署との癒着関係のない事案であり、それでも職権で量刑不当として判断されているのであるから、本件では右の比較から言つても懲役刑は破棄されて然るべきであると思料する。

二、原判決摘示の前掲最判の事案における昭和三八年度の逋脱所得額は九、七八七、三六〇円、同三九年度の逋脱所得税額は一三、二三三、〇八〇円合計三三、〇二〇、四四〇円に対し一審は罰金刑二〇〇万円を課したが二審は四〇〇万円に変更した。しかしそれさえも右逋脱額の一割七分三厘にしかならない。ところが本件での原判決認定逋脱額は二年分で合計三、八〇〇万五、五〇〇円であるところ原判決罰金額は八〇〇万円でその割合は逋脱額の二割一分以上になつており、これは右最判の事案に比して明らかに罰金額の量刑としては不当である。

しかも被告人においては前述の如く昭和四一年分については同四二年一〇月二一日所得金額一五、五九五、八六七円について自主的修正申告をなし納税しているのであるから、右を基礎にして逋脱額を算定すれば勿論仮にそうでないとしても、右を情状として考慮するとき原判決の罰金額は益々量刑不当である。

前述の如く被告人は最終課税所得一億三四七万余円の実に九五%をも各種付加税として前記修正申告を無視して賦課されているのである。

即ち弁護人提出の年度別税額内訳をみても判明するように所得額より当初の申告税額のみを差引いた残額に重加算税等をすべて賦課している。

右自体が実質的に刑罰と同じ効果を上げているのに更に莫大な八百万円もの罰金に処することは前記最判に比しても著るしく量刑を失するものである。

以上

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